少し前に経済産業省の「次官・若手プロジェクト」による資料「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」が公開され、話題になった。
意見交換を行った相手が学術系の方々が殆どで、事象の後追いまたは机上の空論の交換になったのではないかと気になる。ただ、何が正しい提言かは正解があるわけではないので内容については特に関心はない。問題はいつまでこの若手官僚がその気概を持ち続けることができるかだ。若手官僚が、このような立派な志を掲げたのは今回が初めてではないはずだ。おそらく公開されたり纏めたりしていなかっただけだろう。
若い頃の官僚は皆、お国のため国民のために高い志を抱いているはずだ。問題は、この志が徐々に忘れられていき、40代50代になる頃には、いつもの我々がイメージしているような(志と方向を異にする)立派な官僚へと育っていってしまうことだ。米国大統領選挙でestablishmentとの戦いが取り上げられた。日本の官僚も3040代になれば、若き志は忘却の彼方、日本版establishmentのための行政(日本の場合は立法も含まれてしまう)や己の利益のための行政を行う。やっかいなのは、個々人と話すと若き志をやおら思い出し、語り始める官僚がいることだ。その官僚も休日が終わり組織に戻るとestablishmentのために働く。
この嫌悪は平和時の感覚であり、私がこの時既に兵士でなかったことを示す。それは私がこの時独りであったからである。戦争とは集団をもってする暴力行為であり、各人の行為は集団の意識によって制約ないし鼓舞される。
これは自らの俘虜経験を描いた俘虜記(大岡昇平著)の一節である。仲間の兵士がおらず独りでいるときは、血への嫌悪感から敵を殺害できない。集団になれば迷うことなく敵を殺害するということだ。現代の大組織に所属するる人と同じだ。組織外で話をするときは思いやるがあるが、組織に戻ると冷淡になる。官僚は組織外で話すときは広く一般国民のことを思いやるが、組織に戻ると一般国民よりもestablishment優先になる。
今回の経産省の若手提言が単なる若手交流会または研修会に終わってしまわないことを願う。